流れる水のはなし

寝付いたのは1時過ぎていたが、悪夢にうなされ一度目が覚めたのは3時頃だった。夢から12時間も経てば、悪夢とは言ったものの、全く恐いものではないことが分かり安堵する。真っ暗な部屋で目が覚めた瞬間は見えない何かが恐ろしくて喉は乾くし冷や汗もかき、恐くてたまらなかった。どうにかまた目を閉じ、アラームが鳴ったのは陽が登っていない暗い朝の5時だった。
仏教国であるラオスは托鉢が毎日行われている。重い身体をなんとか二本の足で支えゲストハウスから出た。外は肌寒く、そういえば日本は冬だったことを思い出した。そんな当たり前だったことを忘れてしまうのだ。托鉢を遠くから見たあと、プーシーの丘に登った。400段ほどの階段を軽く息を切らしながら上り、陽の出をじっと待った。ルアンパバーンを一望できるこの丘の景色は美しかった。まあるいオレンジ色の太陽が曇り空でもはっきり見え、朝が来たことを知らせる。聴いたことのない鳥の声や、コッケコーコーという鶏の声が街の至る所から聞こえてくる。ルアンパバーンに朝が来た。
近くの行きつけのお店でサンドイッチをテイクアウトし、ゲストハウスの庭で食べた。バゲット1本で作られたサンドイッチはわたしの身体には大きかった。咀嚼すればするほどお腹は満たされていく。満腹は貪欲で汚いことだと思うようになったのはいつからだったか。たしか修学旅行で行った美術館でゴヤの絵画を見てからだ。それに加え、暴食は人間の七つの大罪だ。
なんとかサンドイッチを食べ終わった頃には陽は高いところにあった。昔から朝と気温の高い日は孤独の味がしない。あの孤独は夜と気温の低い日の楽しみらしい。
再びベッドに横になり、洗濯をしようと思った時には既に寝ていた。次に起きたのは10時だった。
ゲストハウスの近くの店でオートマチックのバイクをレンタルし、ガソリンスタンドで給油した。今日はゲストハウスで知り合った男と二人乗りでクァンシーの滝に行く予定だった。40分ほどバイクを走らせ滝に着いた。日本でバイクの後ろに乗ったのは高校生のときが最後だ。大型バイクの後ろで振り落とされようとする身体を必死で支えてた光景をバイクの後ろに乗りながら思い出す。整っていない道はガタガタ揺れるし稀にすれ違う対向車との距離は僅かだ。今日死ぬかもしれないなと思った。しかし、死ぬことはなくクァンシーの滝に着いた。思った以上に観光地化しており、外国人で溢れていて困惑したが、滝はただ美しかった。いくつもの岩とぶつかり、何本もの滝が見えた。この水はどこから来て、どこへ行くのだろう。地球をまるっと循環していく水の生態を羨ましく憎たらしく思った。私だって好きで人間に生まれたわけじゃない。私だって水に生まれたかった。と冷たい水に手をつけてそっと伝えた。一緒に来た男は泳ぐというので、写真を何枚か撮ってあげた。私は散歩してくると伝え人で溢れる滝から少し離れた森の中に歩いて行った。あそこにいるとひとりだが、ここに来れば孤独だ。孤独は好きだがひとりは嫌いだ。なにかの植物の綿毛のついた種が、太陽光で反射されキラキラと空から降ってくる。5センチほどあるその綿毛のついた種は生きているようだった。それを見ているとケセランパサランが好きだった高校の同級生を思い出した。彼女はケセランパサランに出会えたのだろうか。蟻の行列を見つけたので、口の中にいれていたチューインガムを蟻の行列の横に吐き出した。蟻の行列は乱れ、チューインガムを囲った。しばらくそれが面白くってじっと見ていた。そろそろ泳ぎ終えた頃だろうと思い、また人々の元へ戻る。びしょ濡れの男と合流し、帰りは私がバイクを運転した。バイクは一度バリ島で運転しただけだから、私は海外でしかバイクに乗れない。
死ぬことなく街に戻り、フルーツジュースを飲んで、遅い昼飯をとった。ゲストハウスに戻り、洗濯をして、眠い目を擦りながら今日あったことを振り返っている。