死んでいいって言って

この二日間はとくに死ぬことばかり考えていた。死にたいと思わなかった日はないと言うのも過言ではなく、とくにここ数年の私は毎日ネガティヴな感情にコントロールされるようになってしまっていた。

29歳最後の日に実家で死のうと、14歳の頃に決めていた。なぜ実家なのかというと、公共の場だと損害賠償やら面倒だし、残された者に金銭の支払い義務が生じることを一番避けたいから。なぜ29歳なのかというと、説明は億劫なので言いません。

恋人が目の前で死んでもいいよと言ってくれて、今一緒に住んでる家で死ぬことを考えた。考えれば考えるほど楽になった。ああ、死んでいいんだ。

死ぬ方法をしっかり練って、死んだあとの必要最低限の周囲への連絡など、具体的に考えていた。

わたしの口座にはいっているお金はすべて両親の口座へ移した。

恋人が慌てないように、発見後の行動指示を紙に書く。

お母さんに、死んだことを誰に連絡してほしいか紙に書く。

人の集まる葬儀はしなくていいし、口座のお金を使って火葬してほしい。

わたしは大阪に住んでるから、熊本まで搬送してくれる葬儀屋を探して見積もりの電話もした。

死ぬ前にこんなにたくさんしなきゃいけないの、笑えてくる。

部屋の荷物はどうしようかな、全部いらないから、ゴミ袋にいれる。プレゼントでもらった花瓶だけはそのままにしておくね。

長い人生だった、苦しくて暗くて、楽しいことなんてなかったな。

もうこの先楽しいことがあるとは思えません。楽しいことがあっても、それらを楽しいと思える心がもうありません。みんながふつうにできてることができません。わたしが弱いからです。でも強くなることもできないので、生きることがとても難しく感じます。早く死にたいと思うようになって、早く死にたかったです。

とくに誰かに対して、感謝も恨みもありません。なにも思わない、ただただこの世界は無意味だった。